蕎麦屋の屋号でよく『庵』が使われているのをよく見かけますが、これはなぜなのか?

そのルーツは江戸時代中ごろまでさかのぼります。

江戸浅草柴崎町(現西浅草)に一心山極楽寺称住院という浄土真宗のお寺がありました。その院内に道光庵という小さな庵がありました。そこの庵主は信州松本の出で、蕎麦打ちが大の得意というお坊さんだったのだそうです。

蕎麦は一度打ってしまえば、後は湯を沸かして茹でるだけで客に出せるだけに、お寺で出せる食事の代表格であったので、ここまでは問題ありませんでした。

しかし、檀家の参詣人に庵主の自家打ちのそばを馳走したところ、その美味さが評判となり、檀家やその知人らが頼み込んで蕎麦打ちをするようになったところ、江戸市中の蕎麦好きが列をなして並ぶ人気を博したそうで、ついに金を取って蕎麦を出すようになったそうです。

寛永年間ごろ(1624から1645年)がここの人気のピークで、江戸市中での蕎麦屋筆頭に挙げられるまでになりました。その為、江戸市中の蕎麦屋は、その人気にあやかろうと自分の店の最後に『庵』とつけるようになったというのが始まりなのです。

ちなみに、元祖の道光庵はどうなったかというと、蕎麦打ちが忙しくなり過ぎて本業であるところの僧としての業務が滞りがちになり、また寺へ参拝に来たのか蕎麦を食いに来たのか分からない客が増えたことに大層立腹した称往院住職が遂に蕎麦振る舞いを禁止し、門前に「不許蕎麦入境内」と書いた碑を置くところまでいってしまった為、庵主による蕎麦振る舞いは天明六年(1786年)に幕を下ろしたということです。

ですが、称往院は今は浅草から世田谷に移転したものの、今も『そばきり寺』として親しまれているそうです。